リフォーム業界の明るい未来の為に、集い・学び・成長していく

一般社団法人 Jackグループ

Jackグループへの加盟に関するご相談・お問合せ
  • jackcare
  • jackcare
  • メールでのお問い合わせ
  • 0577-57-7210|受付時間 9時〜17時
メールでのお問い合わせ

クモデコラム
COLUMN

2023/3/14

2023年3月 長崎訪問記

2月、仕事と休息を兼ねて長崎へ出掛けた。中村工務店社にもご挨拶してきたが、社屋の目の前が平和公園で原爆の爆心地から目と鼻の先だということを改めて感じた。

ロシアによるウクライナ侵攻が1年経過し、日本の周辺でもキナ臭い動きが活発化している。それに伴い日本の防衛費も拡大の方針のようだが、「まずは戦争がない世界が第一前提である」という認識がだんだん薄れていく感覚がするのは私だけだろうか。何度となく訪れている長崎の平和公園のモニュメントを見ながらその思いを強くした次第である。

今回は移動が多かったためレンタカーを借りて初めて自分で運転をした。知ってはいるつもりだったが主要道路から入った道の狭さと坂の多さには驚いた。調べてみると長崎市は3割しか平地がなくあとは坂だそうだ。

当然、宅地や賃貸アパートの価格も高いようで、特に賃貸の家賃は名古屋並みだというデータもあった。

 長崎市を訪れた日、とても天候が良かったのだが周りを見渡しても自転車に乗る人を全く見かけなかった。やはり坂が多いせいかと調べてみたら、2018年の自転車産業振興協会の調査で長崎県は1世帯あたりの自転車保有率が全国最下位だったようだ。私が小学生の時、学校のグラウンドで自転車の交通ルールや道路での運転について警察から教習?があった記憶がある。

長崎市の中村さんに自転車の講習を聞いたところ「そんなのないですよ」とのこと。自転車が不要なのだから、乗れない、乗ったことがないという人もいるのだろうかと思った。所変われば品変わる、と言うが本当にそうだなと思った次第。

今回、仕事のスケジュールに1日プラスをして個人的に気になっていた場所へ行った。1カ所は諫早湾干拓地、もう1カ所は南島原・雲仙である。

諫諫早湾干拓地では偶然だが時を同じくして最高裁で1つの決着があった。

諫諫早湾干拓事業は平成9年に堤防が締め切られた排水門について、約四半世紀に渡り漁業側の「開門しろ」と農業側の「開門するな」との利害が対立し訴訟合戦をしてきた背景がある。複雑になっているのはそれぞれが提訴した裁判にて「開門命令」と「開門禁止」と相反する確定判決が過去に出されていたことだった。

今回の最高裁では片方の上告棄却が決定され、結果的に「開門命令を無効とする決定」がされたというわけである。干拓事業は正当化され農業側の意が尊重された結果と言っていいだろう。

この諫諫早湾干拓事業については当時メディアで連日大きく取り上げられており1度、この目で見ておきたいと車を走らせた。

「開門しろ」「開門するな」の舞台となった諫諫早湾干拓地は大きく静かな場所だった。

私は堤防道路である諫早湾干拓堤防道路を渡ってきた。雲仙と諫早を結ぶほぼ直線7キロメートルの堤防道路である。湾を区切っているため海の上を走っているという感覚だった。

私にはこの諫諫早湾干拓地の開門の是非は分からない。しかし大きな公共工事だっただろうなということはすぐに理解できた。(後で調べたら2460億円)

その諫早を通り過ぎたところに島原・雲仙がある。雲仙と聞けば「雲仙・普賢岳の噴火」を思い出す人も多いだろう。1991年の噴火では火砕流により死者・行方不明者43人の被害が起きている。現地にはそちらの資料も多く、閲覧することができるが、死者43名のうちマスコミ関係者が16名だとは知らなかった。

現在は被災から30年が経ち静穏な状況が続いているようだ。温泉地も賑わっていた。

それから南島原へ訪れた。ここは「キリシタン文化」がある町で教科書に出てきた「隠れキリシタンの弾圧」や「島原・天草一揆」の舞台となった場所だ。

若い頃「長崎は今でも隠れキリシタンがいる」と思い込んでいた自分が恥ずかしい限りだが、現地で知る歴史はまた深くそして重みを感じさせるものだった。

彼らが命をかけて守りたかった信仰、守りたかった何かは、現代に生きる平凡で平和が当たり前になっている私たちには想像もできない環境から生まれたのかもしれない。日本には現地へ行かないとわからない歴史があると思った次第である。