2022年12月 錯覚は現実化する
先日、NHKのBS放送でバーチャルに関する番組(番組名は失念)を見た。
人間は太古から実体のないもの(例えば神話や貨幣、国家など虚構の存在)を信じることで集団を維持、発展させてきたが「ないものをあると思える力」をバーチャルリアリティで実証するという内容だった。
「人間の脳がいかに騙されやすいか」の実験はとても面白く興味深いものだった。例えば被験者に「にゅうめん」を食べてもらうのだが、VRゴーグルを装着させラーメンの映像を見ながら「にゅうめん」を食べるとなんとなくラーメンの味がしたり、焼きそばに見えるようにすると焼きそばの風味がするという結果も出ていた。
自分を筋肉隆々のアバターにし、それを見ながらバーベルをあげるといつも以上の重量が上がり、逆に細くひ弱なアバターを見ながらだと同じ重量が持ち上がらないという実験もやっていた。視覚からの情報が味覚や筋肉に認識の変化を与えるのだという。
「人間は見た目で簡単にだまされる」ということでかき氷のシロップの話題が出た。皆さんはかき氷のシロップのレモンやイチゴ、メロンなど実は全て同じ味だとご存知だっただろうか?私はこの番組で初めて知った。香りと色だけが違うのだという。
これまでの人生で何度、かき氷を食べる時に迷ったことか。その時間を返してほしいと思ったが「人の脳を騙すなんてちょろいのだろうな」と思った次第。
閑話休題
古典的な自己啓発本でナポレオンヒルの著書「思考は現実化する」がある。読んだこと、耳にしたことがあるという中小企業経営者は少なくないだろう。私も若い頃、先輩経営者にカセットテープを借りて聞いた。なるほどそうなのか、そういうことなのか!と車の中で聞きこんだものだ。
「思考が現実化する」それだけを聞くとカルト的と思う人もいるかもしれないが、思いや願いが実現する、物事を動かすという考え方は人間が古来から持ち合わせている精神である。
平和と安寧を祈り般若心経を唱える、神様に願いを聞いていただくための御百度参りするというのもそれに通じるものだろう。日本全国では五穀豊穣を願ってさまざまな神事や祭りがあるし、聖書には「信じるものは救われる」という言葉がある。近年では引き寄せの法則も潜在意識の分野で科学的研究対象になっていると聞いた。私も過去に思考が現実化する経験を幾度がしてきたがそのプロセスが科学的に解明される日も近いかもしれない。
(人生には限りがある。どうせ生きるなら人間に備わった能力を使わないと損だな)
そんなことを考えていたら「錯覚」という言葉が頭に浮かんだ。
私は過去に「会社を辞めたい、私には実力がない。ついていけない。」という社員に対して「そんなことはない。自分自身が気づいていない実力と能力があるから心配するな。必要なのは経験の蓄積、それと時間だから」と言って慰留したことがある。本人は「もう1度頑張ってみます」と仕事を続け、今は重要な業務を担う社員となった。
私自身のことだが、今まで会社経営をしている中で過去に3回、もうダメかなと思った時があった。しかしその時に
「あなたは何をやっても成功するから自信を持ちなさい」
「自分がそう思っても神様がそうはさせない」
そう声をかけて頂いて心が救われた経験がある。
その時、私は「よし、やれるだけやってみよう。なんとかなるはずだ」と思い込んだ。というか「できる」と錯覚をした。
なんとかなるという「錯覚」が、精神的に辛い時に前に進む力を生んだ。
お陰様でこうして現在に至っているのだから錯覚も悪いものではない。いや、錯覚の力は自分が想像するより大きいのである。
ナポレオンヒルが提唱した「思考は現実化する」は正しい。逆に思考しなければ絶対に実現はしない。こちらの方が真理に近い。
人生はうまくいくことばかりじゃない。目の前におきている現実、自分の認識から逃げたい時もある。もしかして「辛いなあ」と感じていることも錯覚かもしれない。人間には形の見えないもの、実体のないものを信じ込む能力があるのだ。脳は簡単に錯覚をするのだから人生に活かさない手はないだろう。
人生を豊かにするものは何だろうか。
願わなければ叶わないのであれば、願わない人生より強く願い込めた人生を送りたい。かき氷のイチゴ味も錯覚し、信じていれば本当のイチゴ味になる。
私は過去に多くの錯覚をしてきた。これからも多くの錯覚をするだろう。
いや、むしろ錯覚して生きていくつもりだ。人生、このぐらいでちょうどいい。
錯覚は現実化する。大いに錯覚したい。