2020年7月 経験は信用できるか
活発な梅雨前線により7月3日から九州・中部地方など日本各地で発生した集中豪雨は7月13日現在で死者71名、心肺停止1名、行方不明者11名を出すという大きな自然災害となっている。
特に熊本県南部では球磨川水系では13箇所で氾濫・決壊。球磨川にある特別養護老人ホームでは水没した施設で入所者が14名死亡。あっという間に浸水深さが9メートルに達したようだ。
岐阜県・長野県でも7日夜から8日にかけて豪雨が続いた。特に岐阜県下呂市では飛騨川が氾濫し大きな被害となった。自宅地域にも特別警報と避難勧告は出されたが、すでに雨も小康状態になっており、裏側にある川の増水も危険水域までは到達せず避難もしなかった。今回、岐阜県の災害映像が全国的に映し出されたのと、また高山市でも土砂災害が発生したこともあり、多くの方からご心配の連絡を頂いたが、なんとか無事である。
気象庁は今回の豪雨を令和2年7月豪雨と命名し、政府は「特定非常災害」に指定した。
広範囲に渡り、インフラへの影響が大きかったことやコロナ禍であることを受けて政府は2020年予算の予備費などを活用し、4000億円以上規模の被災した地域の支援をする発表。18年の西日本豪雨の際は1700億円を財源とした復興支援策だったことを考えると今回の被災状況の大きさが伺える。
被災された方、地域の方には心からお見舞いを申し上げ、1日の早い復旧を心から願う次第だが、まだ続くこの長雨に十分、注意を払い仕事をしたいと思う。
しかし近年、大規模な自然災害が続いているが、私もその経験値を積んでいて「このくらいはまだ大丈夫」と勝手に思い込んでいることに今回、気がついた。避難しようか、どうしようか、前回よりまだ雨は少ないよな、と言っているうちに、土砂災害のニュース速報が続々と流れるのを見たが、何も行動しない自分がいた。どこか他人事なのである。災害地の様子やインタビューでは、今までこんなことはなかった、想像もしていなかったと方の声を聞くと、いざという時に自分の経験値がどこまで正確なのか、時には疑ってみるべきだと感じた次第。
閑話休題。
日常の生活の中で、今まで大丈夫だった、このぐらいでは問題なかった、という過去の経験から、自分自身が感じている感覚を捨てるのは勇気のいることだと思う。
世界で新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。米国では1日あたり6万人の感染者を超えた。日本でも東京や隣接県を中心に感染者が増加しており、1日での感染者が400名を超えた。
それを受けて兵庫県の井戸知事は「県内の感染者は大阪からの飛び火で、大阪は東京からの飛び火。諸悪の根源は東京という感じだ」と発言。井戸氏は直後にその発言を取り消し、対応をしっかりしてほしいという意図で申し上げたと釈明した。公式の発言としては不謹慎なものだと思うが、関東以外の人は同じことを思っていると思う。
新規感染者増について菅官房長官は「東京の問題」と発言、東京都の小池都知事は冷房と暖房に例え国の問題」とお互いが責任のなすり合いを始めた始末。
若者の感染者が多い、重篤患者が少ない、死者が少ない、無症状の人が多い、PCR検査の数が多いとそれぞれが現状をみて発信しているが、この新型コロナウイルスは私たちの経験も予測もそして希望や願いも全て打ち砕いてきた。九州ではクラスターが多数発生し「かかるものは仕方がない」と開き直る人も出ているという。
00年前のスペイン風邪は終息するのに3年(1918年から1921年)かかったという。感染者は世界の人口の25%にあたる5億人。死者は1700万人から5000万人と推計されているが、1億人だったという研究結果もあるようだ。
さて私はこれまで大丈夫だった、感染しなかった経験はどこまで信用できるのだろうか。
対岸の火事とせず、今一度、身を律して生活をしなくてはならぬと思う今日この頃である。
KUMODE