2021年1月 経験の履歴と脳内変換
先日、名古屋から高山へ車で向かっていたら、大雪のため一部の区間で通行止めになっていたことを知った。その時は降雪もなくすぐに除雪できるだろうし、下道もあるから大丈夫だろうと向かったが高速道路は通行止め。仕方なく下道へ出たらそこも大渋滞。
ほどなくピタっと車列が動かなくなり1時間ほど経過。結局、高山へ行くのを諦めUターンをして名古屋へ戻ることにした。
北陸など日本海側は大雪だったと天気予報で知っていたが、岐阜県の山間部も相当降ったようだ。後からニュースを確認すると下道は大雪の影響で除雪が間に合わず500台以上が孤立していたという。
今思えば事前に調べることもできたのだと思うが、
「以前、このような天候でも高速道路は大丈夫だった」という自身の過去の経験の履歴が、「大丈夫だろう」と脳内変換されたことに疑問を持つことはできなかった。
おかげで4時間近く車での時間を使ってしまった。
今回、名古屋へトンボ帰りする車の中で、このような「経験の履歴と脳内変換」というのは日常生活の中にたくさんあるだろうな、と思った次第。
例えば「大きな台風が来るので十分に警戒してください」とニュースで脅していても、「前の時もニュースはアホみたいに報道しているけど結局、たいしたことなったよな」と経験をしているから、その経験を履歴として「今回もたぶん大丈夫」と多くの人は思い込む。
高齢になると免許返納をする高齢者もいるというが、「今まで問題なく運転できていたし、私は大丈夫」と思っている人は少なくない。
これも経験の履歴が「私は大丈夫」と脳内変換をしているケース。実際に、過去に大丈夫だったという履歴は、これから大丈夫かどうかは全く関係がない。
以前セミナーで聞いた話だが、ある朝、奥様から出勤ついでにゴミ捨てを頼まれ快く引き受けると感謝を言われたが、次の日また次の日も頼まれ、4日目には「ゴミ捨てはあなたの日課でしょ」と言われたという。
ご主人がゴミ捨てをしてくれたという経験の履歴が、脳内で主人の日課に変換したのか。それとも最初からそのつもりだったのか。(私も朝が早い時は当たり前のようにゴミ捨てをしています)
このように経験の履歴というのは人間の学習能力の中で強い力を持っている。そしてそれに反発するのはなかなか難しい。
「これまでこうだったから今回も大丈夫」という思い込みは意外と強い。
「今までしてくれたこと今のスタンダード」というケースは、いじめ行為や 家庭内暴力、暴力団との付き合いなどに当てはまる。最初はほんのささいなことを受けいれたことがきっかけだ。暴力団との付き合いも少しでもお金などを払えばそれが当たり前となってしまい、さらに要求はエスカレートしていく。最初に固辞しておけば、と思っても時すでに遅し。
嫌なことは嫌、ダメなことはダメと最初に言っておかないから、事がエスカレートするのだ。このことからも「何事も最初が肝心」ということがわかるといえよう。
さて2021年、新年明けてからニュースは連日、新型コロナ感染拡大の話題でも持ちきりだ。実際、最近は近いところでも感染者、濃厚接触者と聞くようになった。
政府は11月からの感染拡大を受け、1月7日、関東1都3県を対象に新型コロナウイルス対策の特措法に基づき2月7日までの期間で緊急事態宣言を発令した。
これをうけて東海でも国のすることに金魚のフンのように従属する愛知県の大村知事、それからいつも独自色を打ち出したがる岐阜県の古田知事も何かしらの発令をするだろう。
さて今回はどの程度の効果があるだろうか。前回の緊急事態宣言の時は皆が疑心暗鬼になりピリピリしていたが、私たちはこのコロナ禍にて「経験の履歴」を重ねてきた。
私の知り合いで、前回4月の時は「ゴルフ場も危ない」と言っていた人が、今では「ゴルフ場ほど安全な場所はない」と言っているのは、感染しないし、周りにも感染者がいないという経験を重ねて「ゴルフはOK」と脳内で変換しているのだろう。(私もその1人)
経験の履歴による脳内変換は強力だが、実は経験の履歴とこれから起こる現実はまったく違うし、むしろ関係がない。どんなに履歴を重ねても経験とは過去であり、あまり当てにしないほうがよいのかもしれない。
今回で2回目の緊急事態宣言。感染者が減少すればいいが、第4波、5波と続くようなことになれば今回の結果次第ではいずれ、自粛規制に罰則もつくかも、と思った次第。
KUMODE